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Vol.124自分という境界

湯 忠立先生

2016/07/ 6

オリンピックとパラリンピックが近づいてきて、それに関係するニュースも増えてきました。
その一つに義足の話題がありました。

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義足の性能が良くなるにしたがって好記録も多く出るようになりましたが、どこまでの機能が許されるのか、そんな話です。

例えば人間の筋力よりも強力な素材で義足を作ると、とんでもない記録が出るかもしれない、というのです。
確かに人間の技術力は、人間の能力を超えるものを生み出しています。
先ごろも囲碁の名人がコンピューターに負けたことが大きな話題になりましたね。

人間は道具を使いこなして進化してきました。
道具を使うことで、人間としての能力以上の力を発揮してきたのです。

道具を使うということは、道具を自分の体の一部として使うということです。
道具であっても、それは既に自分でもあるわけです。
目の見えない人の杖や、名工と呼ばれる人たちの道具の使い方を見れば分かりやすいでしょう。

自分という境界が少し広がっている、ともいえます。
私たちは普段、自分の体だけが自分だと思い込んでいますが、自分という枠、その境界を少し広げてみたら、自分と周りのものとの関係も、もっと親しいものに感じられるでしょう。

例えば目の前の料理。これから自分の体の中に入って、自分の一部となる・・・そう考えたら、食べる前でも自分と一体化してしている気になりませんか?
 
 

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この記事の投稿者

薬膳監修:湯 忠立(たん ぞんり)先生

中国遼寧中医学院大学付属病院の院長を務め、現在は東京・吉祥寺で中国医学整体院を営む。