「香風」の香りのふるさと・ネパールのお話をうかがいました。

みやうち

2017/09/19

「香風」の香りのふるさと・ネパール。
あきゅらいずは、2015年4月の大地震以降、国際協力NGOのADRA Japan(アドラ ジャパン)を通して、「香風(しゃんぷー)」シリーズの売上の一部と、みなさまからお寄せいただいたポイント募金を、復興支援のために寄付してきました。
 
その活動も3年目。現地・ネパールはどんな状況なのでしょうか。
ADRA Japan の理事・事業部長の橋本笙子さんと、マーケティング部門のマネージャー・山本匡浩さんに、ネパールの様子やADRA Japanの活動についてお聞きしました。多くの想いがこもった大切な活動。ちょっと長いのですが、ぜひ最後までお読みください。
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ADRA は、世界各地で、災害時の緊急支援、途上国や紛争地域の医療支援や教育などの側面的援助を行う国際協力NGO。世界120カ国に支部のある国際的な組織で、橋本さん、山本さんの所属するADRA Japan は、1985年に日本支部として発足しました。
 
ネパールでの活動は発足初期の1989年から続けられていて、現在は、被災したヘルスポスト(日本の保健所にあたる施設)の再建を中心とした復興支援と、1995年から継続している「口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)」治療のための医療チームの派遣、そして、子ども達の学資を支援するスポンサーシップの、3つの事業を軸に展開しています。
 
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「地震からの復興は、かなり遅れています。びっくりするくらい」という橋本さん。現地の映像を見ながらお話を伺うと、思うように進まない悔しさが、ひしひしと伝わって来ます。しかも、遅れている原因が、経済封鎖や国境封鎖、国の機関や政府などの政治的な問題。
 
地震が起きたとき、ネパールは深刻な燃料危機に見舞われていました。これは、ネパールの憲法制定に端を発した隣国インドの経済封鎖が原因。政治的な問題で人道支援が滞ってしまうという、とても悔しい、理不尽な状況があったようです。
 
「本当に悔しかったのは、震災でなんとか命が助かった方々の中から、あの冬、凍死者を出してしまったこと。燃料も電気もほとんど来ない、もうほんとに寒くて、そのうえ調理もできないような状態が、一番寒さの厳しい時期に5ヶ月近くも続いたんです」。
 
さらに、その年の11月に復興庁が設置されたことが追い打ちをかけたそうです。それまで関係機関と話し合いを進め、すっかり準備を整えて実行段階にあった計画が、復興庁ができたことで全部白紙に戻され、もう一度復興庁と調整し直さなければならなくなったのです。
 
ネパールは雨が激しく、建設作業ができるのは11月から4月までの乾季のみ。それに合わせて準備をしていたのにいきなりストップ。復興庁の調整は遅々として進まず、ようやく作業できるようになったのが翌年の雨期が始まってしまう5月。1年目の、本来なら一番動くべき時期に、まったく動けなかったのです。
 
「もう、2重の苦しみですよね。あのときは本当に頭に来ました。もう私、ネパールの支援やめる!って。4月の段階で、『もう何もしません!』って、政府機関に伝えたんですね。そしたら、いやいや、それは困るって。でも、うちだけじゃなくて他の欧米の組織も、ADRAだけでなく、いろんな団体から、もうこんなことでは支援できないから引き上げるっていう話が噴出していました」。
 
義援金の給付など、被災直後に実施されるはずの施策も大幅に遅れたり、救援物資への対処など、最優先で取組まなければならないことが関係のない理由で停滞したり、制約されたり。法律もばらばらに制定されて整合性がないために、止まってしまう手続が多い。
 
そんな大小さまざまな困難に直面しながら、支援を続けようと思う理由は、いったい何なのでしょうか?
 
「それはもう、やっぱり、あの笑顔ですよね。ほんとに頭に来ることがたくさんあって、もう帰ろう!って、いつも思うんですが、でも、そこにいる、この村の一人ひとりの方々は、ほんとに喜んでくれて、造った建物を大切に、これからは自分たちで維持して行くんだって、ほんとに一生懸命。なので、やらないわけにはいきません」。
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「香風」とポイント募金からの寄付は、ヘルスポストの建設に役立てていただきました。山の上で、材料を運ぶのも大変な場所。なんとか車で上がれる場所ではあるのですが、大きなタイヤの、かなりしっかりしたトラクターでないと行けない。
 
施設は、バリアフリーになっていて、電気はソーラーパネル、井戸を掘って1日何回か水を汲み上げ、このタンクから配水して水が出る仕組みになっているそうです。ネパールは上下水道があまりうまく機能していないため、水のトラブルがとても多い。水が豊かな国なのに、なぜか水が汚染されるという問題も抱えていて、水の確保はとても大切とのこと。
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「ダルバート」というネパールの代表的な国民食があります。ごはんと豆スープと付け合わせの野菜というメニューなのですが、特に山岳地に行くと、お腹を満たすためにお米ばかりを食べる傾向がある。調査をしてみると、やはり、病気が多かったり、ビタミン不足だったりする。そこで、1994年からADRA Japan は家庭菜園の普及事業を開始しました。
 
その事業を10年近くかけて少しずつ周辺の村に拡げながら、それと一緒に、バイオガス・トイレの普及も事業化。その取組みも、全部つくって与えるのではなく、半分援助して、あと半分は自分たちでなんとかする。その準備ができたところから、少しずつ実行する。
 
最初の頃は、トイレ自体持っていないような人たちが、半信半疑のところから、まず最初にひとりが始めて、その結果を見た人たちが少しずつ、自分たちも取組んで行く。ものすごく時間がかかる取組みを続けています。
 
「結局、支援って、たぶん、意識の問題なんです。ただ『もらってよかった』ではなくて、意識を変えて行くっていうことがすごく大切になって来ると思うんですよね。それが、最終的には一番確実に社会を変えて行くことになる。すごい時間がかかるんですけどね」。
 
「ネパール人の友人の一人が今日本で働いてます。いずれ帰って政治家になりたい。ネパールの政治はやっぱり問題だから。自分は国費留学生で、日本で勉強できて、今の自分があるのは国のおかげだから国に恩返しをするって。日本で働いたお金や寄付金を集めて学校を建てて、子ども達にちゃんとした教育を受けさせる。で、自分もいずれは帰って政治家になって、ネパールを変えたいっていう。ほんとに、1年や2年の話じゃない。何十年っていう、下手したら一世代かかる話ですよね」。
 
「でも、そのぐらいかけないと変わって行かないと思うんですよね。目先のことで、私も地震の後カッカカッカしてたんだけど、もうやめてやるーっ!(笑)ってなってたんですけど、そんな短気なことじゃいけない(笑)」。
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§  §  §

最後に、20年近くネパールでの支援活動に従事している橋本さんの、決してやめない理由がうかがえるエピソートをひとつ、お伝えします。
 
細長い国土に標高差は8,000メートル。断面図にしたらどんなことになるんだろうっていうくらい特殊な地形と、厳しい自然の中で人々が暮らしている。山岳部になると、もう車では行けない、数時間かけて徒歩で行かなければならないような場所。しかも、2006年まで内戦が続いて、戦場になっていた地域は、教育や保険衛生、すべてにおいて圧倒的に遅れている。新生児死亡率も、全国平均の3倍。
 
そんな山岳地域の、カリコットという村の子がひとり、口唇口蓋裂の手術を受けに来たんです。カリコットは、カトマンズから飛行機で1時間、車で3時間、中継地で乗り継いで、険しい山道をさらに車で12時間かかる場所。その子の村は、そこからさらに車で2時間、最後は歩いて8時間かかる山岳部にあるんですね。
 
その子のお母さんは、村から出たことがない。教育も受けたことがない。たぶん、30歳くらいのお母さん。その口唇口蓋裂の子が生まれてからずっと、「殺せ」って。この子は前世で悪いことをしたから「殺せ」って言われ続けていた。でも、殺せるわけないじゃないですか、お腹がすいて泣く我が子を。結局お母さんは納屋の中で育て続けていたんですね。
 
そのうちに、うちの医療チームの情報がその地域に流れて、町に住んでいたお兄さんがそれを聞いて、村から連れて来てくれたんです。険しい道を8時間歩いて、バスを乗り継いで何日もかけて。
 
でも、そのときお母さんは、もうこの子と別れなければいけないんだと思っていたようなんです。教育を受けてない、山岳部にずっと生活している中で、そういう治療を受けられるっていうことが理解できない。たぶん、そのお母さん、本当に心を閉ざしていたんだと思うんだけど、ネパール語で話しかけても、民族の言葉で話しかけても、まったく答えてくれない。お兄さんが一緒に付き添って来てたので、手術の説明はできたんだけど、お母さんは何も言わない。
 
手術のために子どもを受け取ったら、7ヶ月の子だったんですけど、体重が6kg弱だったんです。手術は6kg超えていないとできない。でも、先生も私たちもカリコットは知っている場所で、さすがにあそこから来るのは、もう二度と出て来れないかもしれない。もちろんリスクはあるので、万全を期して手術したんです。
 
手術が終わって出て来たら、お母さんがものすごく驚いたんです。
ほんとにすごいびっくりしてて。お母さんは、その子を渡すときに、殺すために渡したと思ったらしいんです。手術のことをぜんぜん理解できていなかった。「もう、この子はこれで殺されるんだ」と思って渡したんです。
 
手術が終わって、初めて話をしてくれた。自分はずっと「殺せ」って言われてた。でも殺せなかった。で、いきなりここに連れて来られて、という話を。もうほんとに、抜糸が終わった後の、そのお母さんの嬉しそうな顔。ほんとにもう、生まれ変わったっていうか、そのお母さんを見て本当に嬉しかった。
 
その笑顔があるから、やめられないんです。やめられないんです、私も、子どもがいますから。
口唇口蓋裂の子ども達を見て、もちろん可哀想だと思います。でも、私が一番最初に思ったのは、この子を生んだお母さん、どんな思いをしてこの子を育てて来たのか。日本みたいないろんな器具が無い中で、そもそも母乳も吸えないですから。そんな我が子をいかに育てて来たか、そのお母さんを思うと、すごく、胸がいっぱいになるんです。
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単に途上国を支援する、困っている人を助けるという形だけではすまない、いろいろな大きな問題があります。その国全体の、社会全体の仕組み、慣習や文化、人々の心から生まれる問題。だからなおさら、今すぐ結果を出すことではなく、この後、命がつながって続いて行くということが一番の大切なことだと、お二人の話から感じました。
 
「たぶん、大きな問題に囚われてしまうと挫折しかないんですよ。その中でもひとつずつ向き合って行くこと。だから私は、うちの団体のキャッチフレーズ好きなんです。『ひとつの命から世界を変える』。本当に、その一つひとつの命を大切にしたいなって思います」。
 
 
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<ネパール大震災からの復興支援にご協力ください>
精油の生産地ネパールは、2015年4月25日に発生した大地震からの復興の途上にあります。
「香風」の香りのふるさとであるネパールの震災復興と発展のため、昨年に引き続き今年も「香風(しゃんぷー)」と「ヘッドエッセンス/よもぎとハッカの香り」の売上の一部を寄付させていただきます。
 
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◎あきゅらいずスタッフ・市原の「ネパール体験記」
その1 口唇口蓋裂医療チーム派遣事業スタディツアー(2016.1.26掲載)
 
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みやうち

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洗顔〜アフターシェーブの「優すくらぶ」が、やみつき。

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